先輩とスノボー
おはようございます♪
Vol.3141
いつも読んでいただきありがとうございます!!
昨日、長女が日帰りでスノボーから帰ってきました。
僕
「どこに行ってきたの?」
長女
「群馬!」
僕が
「雪が結構あったの?」
長女
「今年は、雪は多いよ」
僕
「誰といったの?」
長女
「会社の先輩に車で乗せてもらってさ・・・」
僕
「会社で先輩とうまくやってんだなー」
仕事以外で会社の先輩や同僚と関わることができる。
実は、社会に出て大事なことだと思います。
プライベートを通して先輩の人となりを知る。
なかなか、やりますな!!
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それではメルマガいっちゃいます♪
久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった。 久米宏著
終戦時の長嶋茂雄少年
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インタビューをする際は自分なりの鉄則がある。
それはメモをつくらないということだ。
つまり質問する項目をあらかじめ用意しない。
相手にもそうしたメモを渡さない。
渡したときは、そこに書いてある質問を意地でもしない。
質問内容を相手にあらかじめ伝えて段取りに従うと、インタビューそのものが予定調和となって双方が緊張感をなくす。
質問は最初の一つ二つ考えておき、あとは成り行きに任せる。
要するに雑談だ。
雑談だから脱線を恐れない。
一つのテーマに沿った会話など日常ではありえない。
他愛もない話をして、それを見ていた人が感心したり考え込んだりする、そんなインタビューが僕の理想だ。
ただ、これが難しい。
自然に言葉を交わすには相手を理解して心が通じ合わなければならない。
僕は実はすごく人見知りだし、心配性でもある。
インタビューの前にはできるだけ相手に関する資料をそろえ、せっせと頭に叩き込む。
相手がベテラン作家のときなどは、その作品を目を通すだけでひと仕事だ。
「ニュースステーション」の後半から始めた「最後の晩餐」は、「明日死ぬとわかっていたら、あなたは最後に何を食べたいか」という質問を中心に、その人の死生観、人生観を探るコーナーだった。
長嶋茂雄さんをお招きしたことがある。
その天才と人柄を伝える「長嶋伝説」はすでに巷にあふれている。
僕は長嶋さんに関する資料のほとんどに目を通し、まだ話をしていない空白部分を探した。
その一つが終戦時の体験だった。
1936年に千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)で生まれた長嶋さんが終戦を迎えたのは9歳のときだ。
当時のひどい食糧難を食べ盛りの長嶋少年はいかにして乗り切ったのか。
僕の問いに長嶋さんは当時を思い出そうとした。
いつもの流ちょうな話し方ではなく、「えーっと」と口ごもる。
初めて見る話し方、初めて見る表情だった。
一杯のご飯も事欠く時代だ。
長嶋少年は夕食のおかずを求めて、毎日のように釣りをしていたという。
長嶋さんはひもじかった当時を思い出をなつかしそうに語られた。
インタビューが終わった後、長島さんからは「こんな話をしたのは初めてですよ」という言葉を頂いた。
食にまつわる思い出には、その人の人生がにじみ出る。
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久米さんがやっていた、ニュースステーション。。
最後の晩餐は楽しみにしていました。
自分が明日死ぬとしたら、何が食べたいか?
ぼくは、「お茶づけ」です。
最後、サラサラ食べて終わりにしたいです。
インタビューに対する考え方も感銘しました。
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星野 修