ちばらぎにて・・・
おはようございます♪
Vol.3025
いつも読んでいただきありがとうございます!!
昨日は、千葉県香取市に・・・
プロセミ主催の「成果塾」第二講でした。
どんな会社でも、すぐに結果が出る内容を教えたので、ぜひがんばって欲しいと思います。
その後の懇親会で・・・
カトちゃんが元気がなかったようで・・・
みなさんから
「どうしたの?お腹空いてるんじゃない?」
「飲んでないから・・」
といじられてました。
その後、失恋の話になり・・・
飯田さんが
「カトちゃんは、以前、失恋したんすよ」
「その話が飲んだ時に、くどいんです。」
「確か、このみちゃんだったかな・・」
「そうなの??」
カトちゃん
「いいじゃないですか!」
何も落ちもなく。。。
終了。
やっぱり、カトちゃんは、さえてなかった。
以上です。
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それではメルマガいっちゃいます♪
リーダー論 野村克也著
教え過ぎず、気づかせよ
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私がコーチの教え過ぎを危惧する理由は、そこにある。
「最初から答えを提示し、親切丁寧に教えてしまえば、選手自身が自ら感じ、考える機会を奪ってしまうのではないか」
そう思わざる得ないのだ。
「人間の最大の悪とは何か?それは鈍感である」
と私はよく言う。
一流になる人間は、例外なく「感じる力」にすぐれている。
凡人なら見逃してもらうような小さな変化、差異に気づくからこそ、人より秀でることができる。
「感動」とは「感じて動く」と書くように、感じることが行動を生み出すのだ。
ところが、教えられることに慣れてしまうと「教えてくれるのが当然」と考えるようになり、感じる力は確実に鈍くなる。
感じる力が鈍くなれば、自ら考え、能動的に行動することもなくなる。
依頼心は感性と思考能力を著しく衰えさせる。
当然、進歩も止まってしまうのだ。
だから、監督時代はコーチに言い続けていた。
「教えたいという気持ちはわかる。だが、まず選手にやらせてみなさい」
人間は失敗してはじめて、自分の間違いや至らなさに気づく。
自分で気づく前に教えられても、必要だと思っていないから真剣に聞く耳を持たない。
たとえ自分では聞いているつもりでいても、必要に迫られなければ頭にも残らないというのは、学校時代の勉強を思い出せば容易にわかるはずだ。
失敗してこそ、それというのは、学校時代の勉強を思い出せば容易に分かるはずだ。失敗してこそ、「それまでの自分のやり方は間違っていたのではないか」と考え、進んでアドバイスを聞こうという前向きな姿勢が整うのです。
「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」
ということわざがあるように、本人に「なんとかしたい」という意識が芽生えないかぎり、周りがいくら教えても身に付くものではないのである。
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上司と部下の関係性でも同じです。
教え過ぎない。
失敗させること・・・
そうすることで、始めて言う事を聞くのである。
ということは、「気づかせ屋さん」でないといけないですね。
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株式会社HSコーポレーション
星野 修