天津飯。
おはようございます♪
Vol.3118
いつも読んでいただきありがとうございます!!
昨日の夜は、月島の自宅近所にて、妻と長女と中華屋さんに・・・
昭和風のカウンターがあって、テーブル席3つのこぢんまりした中華屋さん。
70代の夫婦2人でやってます。
行ったら、テーブル席1つ空いてるだけの満席です♪
いつもの天津飯、マーボーラーメン、餃子、肉野菜炒め、瓶ビールです。
長女も
「天津飯、メッチャうまい♪」
「ここのが一番おいしいねー」
そういいながら・・・
食事後、妻が・・・
「ここの天津飯を食べたら、幸せな気分になれる!」
「えっそうなの?」
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久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった。 久米宏著
「健康な努力家」
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黒柳さんと僕は年齢的に11歳離れていたが、考え方から思想、ノリに至るまで相性はぴったりだった。
だから大先輩にもかかわらず、遠慮なくその髪型を「タマネギ頭」と命名し、ときには「化け猫」呼ばわりもした。
僕にとって「ザ・ベストテン」の司会を黒柳さん以外の人と組むことなど考えられなかったし、もしかしたら黒柳さんも僕と同じ思いだったのではないだろうか。
このキャスティングの妙は、「土曜ワイド」のスタジオで黒柳さんが僕を見かけなければ実現しなかったという意味では、偶然の産物だった。
そして、偶然を運命として、僕は必然のように感じていた。
世間は黒柳徹子さんのことを早口でおしゃべりの天然キャラだと思っているかもしれない。
でも僕が彼女を一言で表すならば「健康な努力家」
まずは体がとても丈夫。
そして実は地道な努力家だ。
そのことはあまり知られていないと思う。
黒柳さんは出来る限りの準備をしてから本番に臨む。
いつも手のひらに入るほどの小さいカードにびっしりメモを記し、本番中はそれを確認しながら司会をしていた。
どんな仕事にも手を抜かずに全力投球し、そのために努力は睡眠を削ってでもする。
「ザ・ベストテン」時代に個人的なお付き合いはなかったが、「ニュースステーション」にゲスト出演していただいたときから食事をご一緒するようになった。
ある日、いつもは話の止まらない彼女が「今日は帰る」とおっしゃる。
理由を聞くと、
「あしたクイズ番組の収録があるから、これから7冊くらい本を読まなきゃいけないの」
30年以上レギュラー解答者を務める「世界ふしぎ発見!」で彼女の正解率が非常に高いのは、解答者全員に事前に知らされるテーマについて、関連する本を片っ端から読んで勉強しているからなのだ。
担当ディレクターが図書館に行ったら、黒柳さんに先に借りられて焦ったこともあったそうだ。
「ザ・ベストテン」を見ていた人たちが覚えているのは、大人数が座れるスタジオのソファかもしれない。
司会の黒柳さんと僕が歌手のみなさんをお客様として迎え、「百恵さんって1日に4食も召し上がるんですって」などとトークを繰り広げた。
番組最後には毎回、「ハイ、ポーズ」と言って集合写真を撮った。
応接セットは「家族的なくつろぎ」という番組のメッセージを象徴する演出だった。
黒柳さんは「「ザ・ベストテン」の時代は、1台のテレビを家族全員で見ていたいちばん最後の約10年だったかも知れません」と語っている。
なるほど、そうかもしれない。
番組そのものは1989年とまで11年と8カ月間続くことになるが、僕が司会を辞めた85年時点で、若い世代を中心にミュージックシーンは変化の兆しを見せ、すでに「誰もが知っているヒット曲」の時代はほころびを見せていた。
TBSの音楽ディレクターも知らない歌い手が次から次に登場し、CDをはじめとするメディアの進展とともに、音楽は急速に多様化、細分化していく。
それはランキングの意味が失われていく過程でもあった。
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久米さんから見た、黒柳さんのお話です。
ぼくもドンピシャの「ザ・ベストテン」世代でした。
これを見なければ、学校の話題についていけませんでしたね。
毎週やっていたベストテンで、黒柳さんの事前準備には頭がさがります。
その仕事の姿勢が今も変わらずテレビで活躍しているんでしょうね。
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株式会社HSコーポレーション
星野 修