星野修の想い・志

ワールドカップ予選!!

おはようございます♪

Vol.2957

いつも読んでいただきありがとうございます!!

 

昨日は、ワールドカップ最終予選。。

 

日本×イラク戦

 

37℃の厳しい暑さの中で行われました。

 

けが人が多い中、ホント厳しい戦い。

 

1点取ってから下がったな。。

 

1-1のドロー

 

次戦につなげましたね。

 

後半、酒井宏樹選手が膝を痛めて負傷。

 

負傷してベンチに下がった時に、いつも仲良くしている、代表トレーナーの池内さんがアップで映ってましたねー

 

ラスト2試合。

 

8/31オーストラリア

 

9/5サウジアラビア

 

厳しい戦いが続くけれども、次に勝ってワールドカップに行きましょう。

 

また、楽しみが増えました。

 

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それではメルマガいっちゃいます♪

 

日本一の変人経営者   宗次徳二著

「逆境が楽天的で前向きな性格を培った」

 

 

 

 

物心ついたときから私の人生は苦労の連続だったが、おかげで朝から晩まで汗を流して働くことは、なんの抵抗もない人間に育った。

 

 

おまけに大した病気もせずに、激務をこなせるタフな体力もできた。

 

 

喫茶店を開いてから壱番屋を平成14年に引退するまで約30年間、平均睡眠時間は3~4時間ぐらいだったと思う。

 

 

「COCO壱番屋」の創業期には、午前4時に起きて各店に一人で商品を配達、日中は店舗や外回りで目一杯働き、夜は各店が営業を終えてシャッターを下ろした後、深夜の午前0時から打合せを始めていた。

 

 

店舗の拡大してからも、朝5時前に出勤する仕事のスタイルに変更はなく、とにかく働き通しだった。

 

 

私自身、そうしたかったのだ。

 

 

自分の意識の中にハッキリと、自分の見は経営に捧げると誓っていた。

 

 

養父と食うや食わずの貧しい暮らしをしていたころ、周囲から敬遠されたり、見向きもされなかったりした経験は、精神的な意味でも私をタフにした。

 

 

もちろん、ケンカっ早い義父に比べ幼い私には同情を寄せてくれる大人もいたが、大方の人にとって、汚い身なりをした私たち父子は厄介者以外の何ものでもなかっただろう。

 

 

だが、そのころ、自分の置かれた環境が不幸だとか、惨めだと思ったことは一度もなかった。

 

 

親を恨む気持ちも感情も湧いてこなかった。

 

 

家の手伝いが嫌いで、楽をしたいと望むわけでもなく、それよりも、どうすれば養父が喜んでくれるか、幼い頭ながらに必死で考えていたのである。

 

 

だから会社が順調に拡大していたときも、私に対する期待にどうすれば応えられるかを必死で考え、自分のことなど二の次でよかったのである。

 

 

遊んだり休んだりせず、早朝から仕事に励んだのは、たんにワーカーホリック(仕事中毒)で、無趣味な人間だからというだけではない。

 

 

休暇をとって海外旅行するよりも、やはり、どうすればたくさんのお客様に喜んでいただけるか、真剣に考えていたことに間違いないのだ。

 

 

この場合、私にとってお客様とは、家族、社員、地域の方々、取引先金融機関の方々、そしてお店を利用していただく方々・・・

 

 

私に関わるすべてということになる。

 

 

その意味でも、当初行き当たりばったりの軽い気持ちで始めた客商売は、私の「天職」だった。

 

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自分自身も「整骨院」は天職だったと思います。

 

成功するには、これしかなかった。

 

患者様に手で触り、痛みを取っていく・・・

 

そのために、患者様に伝えるために勉強したのを覚えています。

 

ホントに身近な整骨院として、どんなことでも相談に乗って、患者様との距離感を縮めていったのを思い出します。

 

この仕事を次の世代に良さを伝えていきたいと思っています。

 

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星野 修