星野修の想い・志

専務 島耕作

おはようございます♪

Vol.3081

いつも読んでいただきありがとうございます!!

 

昨日は、雨の為、取締役島耕作、常務島耕作を読破。

 

10代の学生以来、漫画。。

 

完全に島耕作にハマっています。

 

なので、昨日、アマゾンで部長島耕作・係長島耕作・課長島耕作も全巻大人買い。

 

社長から会長を読んで、ドンドン下へ・・・

 

結果を出し、上司に好かれて、女性に好かれ、出世していくストーリーは痛快です。

 

漫画からの学びですね。

 

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それではメルマガいっちゃいます♪

 

元メジャーリーガー  松井秀喜氏

心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。

 

 

 

 

松井秀喜は1974年に石川県能美郡根上町で生まれた。

 

 

小学校5年生のときに地元の少年野球チームに入団して本格的に野球を始め、地元の根上中学に進学してからも活躍した。

 

 

そして、中学二年のときに中部来会で準優勝を果たした。

 

 

高校野球の名門星稜高校へ入学すると、4度にわたって甲子園大会に出場した。

 

 

今も語り継がれているが、1992年に明徳義塾高校と戦った試合で、なんと松井は5打席連続敬遠されたのである。

 

 

だが、このことが松井の強打者ぶりを全国に知らしめることになったのだから皮肉なものだ。

 

 

ドラフト1位で巨人に指名された松井は、1993年に入団。

 

 

背番号「55」は、王貞治のホームラン記録55本にちなむものだった。

 

 

入団1年目からクリーンナップをまかされ、翌年からレギュラーに定着。

 

 

率先してチームを牽引していったのである。

 

 

初タイトルは1998年。

 

 

ホームラン34本、100打点で二冠王になり、さらにそのホームラン50本を達成。

 

 

巨人のリーグ優勝、日本シリーズ制覇の原動力となった。

 

 

その年にフリーエージェント資格を得た松井は、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。

 

 

そして、メジャー2年目にしてホームラン31本、打率298を記録し、チームをプレーオフに導いた。

 

 

2006年には左手首を骨折するというアクシデントに見舞われたが、2009年にはチームをワールドチャンピオンに導く大活躍をし、シリーズMVPにも輝いた。

 

 

オフにはエンゼルスへ移籍。

 

 

新天地での活躍が期待される。

 

 

ちなみに冒頭の言葉は、アメリカの心理学者ウィリアムス・ジェームズの言葉。

 

 

松井秀喜はこの言葉に感銘し、帽子の裏に書き込んでいるという。

 

 

毎日何かをこころがけいれば、知らず知らずのうちに行動が変わって来るものだ。

 

 

一週間でもいいから、試してみることが一週間が過ぎたらまた一週間と、次第に延ばしていく。

 

 

きっと自分が変わっていくのがわかるはずだ。

 

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心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。

 

ぼくもこの言葉が好きで、意識しています。

 

まずは心から・・・

 

良い心をもち、日々の行動を変えること・・・

 

大事ですね。

 

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星野 修