読書!!
おはようございます♪
Vol.3164
いつも読んでいただきありがとうございます!!
年末年始で「江副浩正」の本を読みました。
487ページの分厚い内容でしたが、読みだしたら止まらない、あっという間に読めました。
江副さんは、リクルートの創業者。
東大に在学中に就職ガイドが無かったことに目をつけて、学生向けに就職向けに「東大新聞」をスポンサーを集めて作成し、学生に配ってお金を稼ぐ。
それが自分の仕事になっていったのです。
リクルートを創業し、日本のあらゆる情報誌の原点となる「リクルートブック」を創刊する。。
その後、リクルートコスモス株で政治家を巻き込むことに・・・
いやぁ~
読めば、読むほどに時代背景が分かって・・・
次に読んだのは、ビートたけしさんの「アナログ」
たけしさん初の純愛小説。。
「お互いに会いたいという気持ちがあれば、絶対に会える。」
毎週木曜日に会う約束をしていた、悟とみゆき。。
お互いに携帯の連絡先を交換せずに、木曜日に会う約束。。
そんな中、悟が大阪に転勤。。
悟が大阪に引っ越して2年が経過し、それからみゆきは・・・
でも、お互いに連絡先を知らずに・・
実はみゆきは交通事故に遭っていた・・・
たけしさんの文章校正の仕方。。
勉強になります。
ぜひ読んでみてください。
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それではメルマガいっちゃいます♪
マイクロソフト創業者 ビル・ゲイツ氏
できそうにないことをできるという成功法
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マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは11歳にして「僕は、その気になれば何でもできる」というほどの自信家だった。
ハーバード大学に進んだのも、自分より頭のいい奴がいると信じてのことで、休学したのはそんな奴はいなかったからだという。
ゲイツは1975年、米国のエレクトロニクス会社MITSのための初心者向けのコンピューター言語BASICを書く。
まだ何も書いていないのにMITSに売り込み、後のマイクロソフト共同創業者ポール・アレンと共にわずか8週間で完成、納品という荒行をやってのける。
しかもそのBASICは業界の事実上の標準となった。
ゲイツは、自分には金儲けチャンスが山ほどあると、75年にマイクロソフトを設立した。
目指したのは標準をつくり、ソフトウェア業界を支配することだった。
絶好のチャンスが訪れた。
IBMがアップルⅡに対抗するパソコン開発に着手、マイクロソフトにオペレーティングシステム(OS)を依頼したのだ。
ゲイツはOSの開発をしていなかったが、ある会社からOSを買い取り、改良してIBMに納入する。
そしてMS-DOSという名前で広くライセンスを供与して会社を急成長させた。
こうしてIBMと組む一方で、ゲイツはMS-DOSの限界も理解していた。
飛躍のためにスティーブ・ジョブズが進めるマッキントッシュの技術を取り込んだOSの開発が必要だった。
ゲイツはそれをウィンドウズと名付け、設計すらできていない83年に発表する。
ウィンドウズはIBM互換機のほとんどが使うはずだった。
だが勝手が違った。
それまでの仕事は数人が数週間で仕上げられたが、ウィンドウズは数十人が何カ月もかかる。
発売は送れ、危険が何度も訪れた。
マスコミは、ウィンドウズ開発に失敗すれば、マイクロソフトは消えてしまうと論評した。
それまでのゲイツはトップで製品を出荷し、問題点は後で解決する手法だったが、ウィンドウズでは逆だった。
「僕たちが出す製品は、他のどの製品よりもずば抜けていなくてはいけない」と反撃し、2年も遅れるという大恥をかいた。
85年、ゲイツはウィンドウズ1.01を発売する。
ヒットしなかったが諦めずに改良を続け、90年のウィンドウズ3.0でしじょうのかなりを支配、95年のウィンドウズ95で業界の覇者になった。
ゲイツの粘り勝ちだった。
「ウィンドウズに社運を賭けたのだから、利益を得るのは当然のことだ」
と言い放っている。
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ビルゲイツは、まだできてもないOS「ウィンドウズ」を発表し、他のどの製品よりずば抜けていなくてはいけないと、発売は2年遅れました。
1985年にウィンドウズ1.01を発表するもヒットせずに・・・
ウィンドウズ95で大成功を納めることになったのです。
決してあきらめずにやり抜く力。。
やはり、すごい。。
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星野 修