星野修の想い・志

起業したいのですが?

おはようございます♪

Vol.3004

いつも読んでいただきありがとうございます!!

 

昨日のお昼は、次男坊の同級生、花東高サッカー部の吉川くんが本社に来ました。

 

次男坊と同じなので、20歳。

 

「将来、起業したくて・・・」

 

「成功している人の話を聞きに来ました」

 

だそうです。

 

そこで、アドバイスしたのは!!

 

起業したいのなら・・・

 

①          目一杯、バイトをする

②          貯金を大学卒業までに300万する。

③          勉強する(本をたくさん読む)

④          4年間で大学は卒業する。

⑤          彼女をつくる。

 

この5つが大事だよ。。

 

と言いました。

 

どんな仕事で起業するか、いろんなバイトしながら考える。。

 

です。

 

吉川君は、いろんなセミナーに行き、人脈をたくさん作ってたようです。

 

なので、

 

「今は、人脈はいらないよ!!」

 

「仲間をたくさん作ると誘惑に負けるから・・」

 

以上です。

 

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それではメルマガいっちゃいます♪

 

一流コーチのコトバ  松瀬学著

「自分はしなきゃいけないことがある」北島康介氏

 

 

 

 

惨敗だった。

 

 

2012年7月。ロンドン五輪の男子100m平泳ぎ。

 

 

五輪3連覇を狙った日本のエース。

 

 

北島康介は平凡なタイムで5位に終わった。

 

 

レース直後のミックスゾーン。ショックだったはずだ。

 

 

それでも北島は記者に本音をきっちり、話し続けた。

 

 

つとめて毅然としていた。

 

 

「自分の力が出なかった点については悔しいし、せっかくの舞台で最高のパフォーマンスが出来なかったことも悔しい」

 

 

質問にはちょっと黙ったのは、ずっと世界記録を争ってきたライバル、アレクサンドル・ダーレオ―エン(ノルウェー=故人)さんについてのときだった。

 

 

右手に持つミネラルウォーターのペットボトルが小さく揺れた。

 

 

ダーレオーエンさんは12年4月、トレーニング中に心臓麻痺で急死した。享年26歳だった。

 

 

ダーレオ―エンさんは北京五輪の銀メダリスト。

 

 

北島を育てた平井伯昌コーチのところに指導をあおぎに来たこともあるし、一緒にトレーニングに励んだこともある。

 

 

ダーレオ―エンさんの存在が、北島にとってはモチベーションのひとつだった。

 

 

だが、ロンドン五輪の舞台にはいなかった。

 

 

「彼がいないのはさみしい」と漏らした。

 

 

北島は目をしばたたかせる。

 

 

「彼がいたら(彼は)きっと最高のパフォーマンスをしていたと思う。ノルウェーの人たちも辛い思いをしたのじゃないかな」

 

 

ちょっと間をおく。

 

 

「彼に対しても情けないレースをしてしまった」

 

 

北島が200メートル平泳ぎで雪辱できるかどうかは、本人の持ち前の闘志に火が付くかどうかである。

 

 

インタビュー最後に言いきった。「粘るよ」と。

 

 

「200メートルは粘るよ。最後まで粘る。自分はしなければいけないことがある」

 

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世界水泳2017が30日に終了しました。

 

日本選手に金メダルはなかったのですが、若返りがあり、東京オリンピックが楽しみですね。

 

そこには、観客として北島康介さんがいました。

 

今度は選手としてではなく、コーチとして強い選手を育てて欲しいと思います。

 

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星野 修